old-guy-tweetsのブログ

日々の出来事日記でボケ防止!

父母を偲ぶ Part Ⅷ

数日後、また先生から今後の治療についての確認が有り、母の気持ちに変わりは無いため、緩和治療を進めていくことになりました。

食欲は無いものの、痛みなどがあるわけでは何いので、一旦退院する打診もあったのですが、血糖値のチェックや、その結果に対する処置をする必要がある事。
また、胃瘻のために空けた穴付近が炎症を起こしていた事もあり、大事をとって、先生に色々便宜を図っていただきました。

この病院の最上階は全て緩和部屋になっており、偶然にも部屋に空きが有ったことから、通常病棟から緩和部屋へ移動させていただく事ができました。

もし何かあったとしても対処いただけるので、母も私も、家に帰るよりは安心です。

会社に便宜を図っていただけたので、日中は家で仕事をし、定時後は母の病院へ行く事が日課となりました。

ガンのせいなのか分かりませんが、食欲が無く、デザートを口にするぐらいが精一杯のようです。

数日経っても、胃瘻の炎症もなかなか治まらないのと、食欲も無いので、一旦管を外して、点滴で栄養を取ることになりました。

私としては、父の時も食欲が無くなってきた途端、見る見る弱っていったので、食欲が無いことが一番の心配事です。

母の好きな焼きプリンを買ってきても、一口二口食べたら、それ以上は食べれないようです。

私は毎日母に会っているので、そんなに感じませんでしたが、2週間おきに来る弟が来ると「また痩せたなぁ。やっぱり食欲無いの?」っと私に聞いてきます。

治療をしているわけでは無いので、少しづつ悪化してきているでしょう。
またここ最近は、少し不快感が出てきているようなので、点滴の中に、少し痛み止めも入れてくださっているようです。

そんな感じの生活を繰り返して行く中で、顔の筋力も衰えてきたのか、母の顔付も、だんだん変わってきました。

冗談ぽく「だいぶ弛んできてるで。シャキッとせんと。」と母の顔を上に引っ張ると、母も笑いながら「痛いわ。」っと返してはくれるものの、気力も無くなってきているように感じます。

ある日看護師さんから、母の様子が変わってきていることを告げられました。
ただ毎日接している中で、衰えは感じるものの、そこまでヤバい状態になりつつあるとは感じ取れませんでした。
でも、ここの緩和部屋の看護師さんは、このような状況を見てきているプロです。

もしそうなのであればと思い、私の家族に週末に来るように伝え、弟にもその旨の話を伝えました。

その週末に私の家族が大阪に来て母を見舞い、翌週には弟家族が見舞いに訪れました。

最後のあいさつでは無いけれど、母が普通にしゃべれる状態で、孫たちとも色々話ができたので、良かったと思います。

その後数週間が経ち、母の意識もだんだん薄くなってきているようです。
また、不快感も増しているようで、ベッドを起こしたり、下げたりを頻繁にお願いするようになってきています。

流石に私も、もう長くは無いんだろうなと感じれるぐらいです。

またベッドを起こしてほしいと頼まれたので、ベッドを起こし、その時に母に抱きつき、「お母ちゃん、僕を生んでくれてありがとう。お母ちゃんの子供で幸せやったよ。」っと感謝の言葉を伝えました。

感謝の言葉を伝えた途端、私の涙は止まりません。

なので、暫く母にしがみついたままで、顔を上げることができません。
必死に涙をこらえて母から離れた際に、母も薄笑みを浮かべながら泣いてくれていました。

今思うと、少しは感謝の気持ちを受け取ってもらえたのかな。

その後看護師さんが来られた際、ベッドを起こしたままにすると、血圧が下がって危険な状態になるので、ベッドは起こさないようにと注意を受けました。
でも、母が起こして欲しいと言う事を伝えると、たぶん身体全体に不快感が出てると思われるため、点滴に薬を混ぜる事になりました。
またその際に、弟さんにも連絡を入れてくださいと言われました。

いずれは、この日が来ることは覚悟していましたが、とうとうその時が近づいてきているんだなと。
頭では理解ができていても、やっぱり悲しい。色々心配かけてごめん。色んな気持ちがあふれ出てきます。

いずれにしても、弟に連絡を入れ、私の家族にも連絡を入れました。

 

(つづく)