old-guy-tweetsのブログ

日々の出来事日記でボケ防止!

父母を偲ぶ Part Ⅵ

今日は地元の病院への転院です。
お世話になった先生方や看護師の方々にお礼を伝え、私の車に母と荷物を載せて地元の病院へ移動です。

母に負担が掛からないよう、ゆっくりと安全運転です。

転院先へ直接行くのも何なので、
私:「お母ちゃん、久しぶりに家に寄ってから病院に行く?」
母:「家に帰ると近所の人たちに会うかも知れへんし、こんな姿見せたくないから、やめとくわ。」
まぁ、確かに。
私:「じゃぁ、遠回りして、家の前を通って、それから病院に行こか。」
母:「あぁ、そうやな、そうしてくれる。」
少し明るめの返事でした。

団地付近からスピードを落として団地の前を通ると、母は懐かしむように見入っていて、通り過ぎても振り返りながら、ずーっと団地を見ていました。

本当は、一度家の中に入って、一息ついてから、病院へ行きたかったんだと思います。

母は本当に几帳面な人で、何処を見てもきちんと整理されていて掃除も完璧で、いつ何時お客さんが来られても、困ることがありません。
最近は私や弟が来て、この家を使っているので、部屋が綺麗に保たれているか、心配だったのだと思います。
お仏壇を綺麗にして、ご本尊様、ご先祖様や父に手を合わせたかったんだと思います。

病院に到着し、妻には書類の提出や手続きを進めてもらい、私は母を看護師さんにお願いして、荷物を母の病室へ。

今回は大部屋の空きがなかったのか、個室でした。

早速母は着替えをして、看護師さんに色々説明をしてもらい、この病院での入院がスタートです。

勝手知ったると言いますか、知っている看護師さんもおられるので、病院に対する不安は無かったと思います。

ひと段落し、母も多少は疲れたと思うので、今日は早い目に引き上げることに。

妻が私の母に会ったのは手術前の時なので、あまりの変わりように、少しショックを受けたようです。

食事もあまり取れてないので、それは仕方ありません。

妻と帰宅し、夕食後、今後の事について話をしました。

私としては、父の時の後悔があるので、母には悔いが残らぬようにしたい。
私の会社ではタイミング良く、試験的に在宅勤務の運用をスタートする計画があるとの事だったので、先ずはその在宅勤務制度について上司に相談してみる。
それで在宅勤務が可能なら、当分の間、大阪で生活をする事を妻に伝え、妻もその方が良いと賛成してくれました。

翌日、妻と一緒に母の病院へ。
地元の病院は、自転車なら20分程で着く距離なので、大阪のがんセンターとは違って、簡単に家と病院の行き来ができるので助かります。

こちらの病院で、先ずは約2週間ほど様子を見ていただき、今後の方針を決めて行くことになります。
がん細胞の再発が無いことを祈るばかりです。

あと心配なのが食欲です。
食欲があると、体力も抵抗力もつくので頑張りも効きます。

父の時もそうですが、胃がんと分かった時でも、食欲があった時には、父の見た目も気力も有ったのですが、食欲が無くなった途端に病状が悪化していったので、母には、好きなものや食べ易いもの、何でも買ってくるので食べてほしい。

母は焼きプリンが好きみたいで、それは結構食べてくれました。

それを見て私の妻が、「うわぁ、さすが親子。あんたも焼きプリン派だもんね。」っと言って、3人で笑ったのを思い出します。

 

(つづく)