old-guy-tweetsのブログ

日々の出来事日記でボケ防止!

父母を偲ぶ Part Ⅴ

つづきです

家に帰って仏壇に手を合わせて、ご本尊様と父の遺影に今日の先生からの話を報告し、どうか母のがん細胞が残っていませんように、もし残っていたとしても対処できますようにとお願いをしました。

でも、何か落ち着きません。

夕食後、母が信心しているお寺へ行き、夜も遅いので中には入れませんが、外からお祈りをさせていただきました。

私も母の影響と言いますか、小さい頃から、こちらのご本尊様が我が家の宗教となっていますので、母のように厳格な信仰は、お恥ずかしながらできていませんが、何かあった時には私も自然とお題目を唱えており、今日も身体が勝手にでは無いですが、お寺へ行って、お題目を唱えると言う行動になったのだと思います。

お寺の前でお題目を唱えたことで、少しだけ心が落ち着けたような気になり、帰宅後、洗濯機を回している間にお風呂へ入り、洗濯物を干した後、そのままお布団の中にもぐりこみ、早や目の就寝です。

翌朝、神奈川へ戻る準備と洗濯済みのタオルを何枚か準備して、また母の待つ病院へ。

病院に付くと、母はいつも通り「おはよう。今日もありがとね。」っと私を気遣ってくれます。

昨日の暗い話に戻りたくはなかったので、私の子供たちの話など、明るめの話題で話をすることに努め、夕方まで、何するわけでも無いのですが、母と時間を過ごし、また
来週来る約束をして、新幹線で神奈川へ。

翌週、また先生からお話があり、現状だと、この病院で母に対する治療ができることは抗がん剤治療であり、そうなると、この病院で無くても、地元の病院で処置が可能なので、地元の病院で処置ができるよう手配をするとの事でした。

多分、他のがん患者さんが、入院の順番を待っているのでしょう。

地元の病院も、入院患者用のベッド数に余裕が無いのは同じ状況で、いつまでも母を入院させていただける状況にはありませんし、抗がん剤治療であれば、通院でも可能と言えば可能です。

ただ母の場合、膵臓の殆どを切除したため、血糖値を測って、必要に応じて自分でインスリン?を注射する必要があります。
また手術後、上手く食事がとれなくなていたので、お腹に明けた穴にチューブを通して、直接、胃に食べ物を流し込む胃瘻(いろう)処置もされていたので、母一人、実家で生活することは、到底不可能です。

友達のお嫁さんはケアマネージャーなので、そのあたりの事について相談にものっていただき、今後どうしていく事が、母にとってベターなのかも考えていく必要があります。

いずれにしても、転院の準備は進めなければなりません。
荷物もそこそこありますし、母のサポートや、転院当日も書類などの色々な手続きもあるので、当日は妻にも大阪へ来てもらう事にしました。
ですので、転院日の大阪への移動は、妻と一緒に自分の車で来ることにします。

 

(つづく)