old-guy-tweetsのブログ

日々の出来事日記でボケ防止!

父母を偲ぶ Part Ⅳ

先生から話があると言う事で面談室へ。

母は膵臓の全摘出では無く部分摘出で、その摘出した膵臓を生体検査に回していたので、その結果報告です。

摘出した膵臓を輪切りにして検査するそうです。

部分摘出ですので、一番端の切断面にがん細胞がなければ、母の身体の中に残っている膵臓に、がん細胞は無いと判断できます。

でも結果は、最後の切断面にもがん細胞が残っていたそうで、完全には取り切れていない可能性があるとの事。
もし、がん細胞が残っていて広がっていくような事があれば、抗がん剤治療で、それを抑え込むしか方法がありません。

母も高齢なので、再度の外科手術は体力的に不可能です。

そんながん細胞が残るリスクがあったのなら、なぜ全摘出にしてくれなかったのか。
母の体調では、全摘出はできなかったのか。
「たられば」を言い出したらきりがありませんが、部分切除の場合、完全に取り切れないリスクがあるとか、なぜ言ってくれなかったのか。

頭に血が上ってしまって、怒りを抑える事で精一杯で、冷静に話を理解することができません。
ただ何を言っても、時すでに遅しと言う事は理解できているので、ただ茫然と話を聞いているだけの状態でした。

母の方を見ると、母は黙って涙を流しながら先生の話を聞いています。
母の方がショックで、憤りを感じているはずなのに。
先生の話にうなずきながら、涙を流しながら、でも冷静な表情で、先生の話を聞いています。

母は、先生方は色々なリスクを想定しながら、母にとってベストな方法で処置してくださっている事が分かっているので、受け入れたくない内容でも、先生のお話を冷静に聞けていたのだと思います。

そんな母の姿を見て、この年にってまで、お母ちゃんに恥ずかしい思いをさせて、何て自分は出来そこないの息子なんだろう。
何て自分のお母ちゃんは立派な人間なんだろう。

涙を必死でこらえました。

一通りの説明が終わり、母の病室へ2人で戻ったのですが、何と言って良いのか言葉が見つかりません。

弟も今日の話を気にしていたので、病室を出て弟の携帯へ電話をし、先生からの話の内容を伝えました。
弟もその結果に驚いてはいましたが、今後の事も含め、また話をすると言う事で、手短に電話を切って、また母の病室へ戻りました。

母は、目をつぶって休んでいるようです。
眠ってはいないと思うのですが、起きていると、お互い沈黙に耐えれないと察して、寝たふりをしてくれているのだと思います。

私は母の病室を出て、大阪城の周りを歩きながら、少し頭を冷やして整理をする事に。

仮に母の膵臓にがん細胞が残っていたとしても、手術で殆どのがん細胞は摘出されているので小さいはず。
年齢的にがん細胞の進行は遅いはず。
がん細胞が小さければ、抗がん剤で何とか抑える事ができるのではないか。

無理やりでもなんでも良い、ポジティブな考え方ができれば、母とも話ができます。

もう少し大阪城の周りを歩いてから母の病室へ戻ると、母は普段通りの感じで、
母:お帰り、どこ行ってきたん?
私:ちょっと大阪城の周りを散歩してきた。
母:○○(弟の名前)にも連絡してくれた?
私:うん、連絡したよ。また今度大阪来た時に話ししようって。
母:そうか。
私:今日の先生の話を聞いてどう思う。
母:そやなぁ、ショックやなぁ。手術であんなに痛い思いをしたのになぁ、お父ちゃんと一緒や。
私:でもな、万が一がん細胞が残ってたとしても、殆どのがん細胞は手術で取ってんねんから、残ってても微々たるもんやんかぁ。
あと、お母ちゃんも年寄りなんやから、ガンもそんなに成長せえへんやろうし、抗がん剤とかやったら、大丈夫なんちゃう。
母:そうかなぁ
私:そうやで
母:そやなぁ

しばし無言

母:あんたも今日は疲れたやろから、今日はもう帰ってゆっくりしいや。
私:疲れてないよ
でも気分転換に、今晩○○(小学校からの友だちの名前)と会ってくるわ。
使ったタオル持って帰って、明日新しいやつ持ってくるわ。

正直、重い気分ではありましたが、母も無理して元気ぶってくれているので、尚更心が痛むのですが、私も明るく「じゃあね、また明日!」と言って、母の病室を後にしました。

 

(つづく)