old-guy-tweetsのブログ

日々の出来事日記でボケ防止!

父母を偲ぶ Part Ⅱ

暫くしたある日、母から精密検査をすることになったとの電話がありました。

病は早期発見、早期治療が鉄則ですから、「早く診てもらえて良かったね。」とその場の電話を切りました。

また数日後、母から電話があり、膵臓がんの可能性が高いので、もう一度精密検査をする事になったとの電話でした。

母もそうですが、私も言葉が出てきません。
精密検査には数日の入院が必要なので、入院期間の週末に、私は大阪へ行くことに。

精密検査の結果は、やはり膵臓がんとの事で、大阪国立がんセンターを紹介いただき、そちらで治療を受ける事になりました。

大阪国立がんセンターでも、色々な検査をしていただいたのですが、残念ながら初期段階でのガンでは無いようで、進行がんとの事でした。

膵臓がんはサイレントキラーとも言われれているらしく、発症していても無症状で、症状に気付いた時には、かなり進行している状態が多い、厄介なガンなんだそうです。

治療には、放射線治療抗がん剤治療、外科治療があり、母の場合ば場所的に、放射線治療は難しい。
抗がん剤治療についても、実際にはやってみないと分からないと言うのが現状らしい。
外科治療についても、完全摘出出来れば良いのですが、場所が場所だけに、これも実際お腹を開いて診てみないと分からないと言う、分からな事づくめの中、治療法を選択する必要があります。

もし外科治療を選択した場合、かなり難易度の高い手術となるため、15時間程の大掛かりな手術になるとの事。
ただ、腹を開いて完全摘出が無理と判断した場合は、それ以上の処置はせずお腹を閉じるとの事。

父も胃がんで外科手術を選びました。
術後は痛かったのだと思うのですが、癒着を防ぐために、数日後には歩く練習をさせられます。
胃を切除しているので、当然食欲がありません。
毎週大阪へ帰ることはできなかったのですが、会う度に父が小さくなっていくのが分かります。
食欲がなくなると、一気に体力が衰えてしまいます。

そんな父の姿を傍で見ていた母ですので、決断できないのも無理はありません。
でも私とすれば、一番可能性の高い治療を選んでほしいのは、言うまでもありません。

最終的に、母は外科治療を選択してくれました。
外科治療をするにしても、可能な限りガン細胞を小さくした後に、手術でそのガン細胞を摘出するそうなので、先ずは抗がん剤治療から始まります。

抗がん剤治療にも、母には2つの選択肢が有り、今となっては詳細の記憶が無いのですが、煙草を吸っていた方には使用できず、審査?抽選?のような感じのものがあり、誰でも選択できるものでは無い抗がん剤があり、母はその抗がん剤を使用していただく事ができました。

今思えば、勝手な妄想でしたが、母は熱心な信者でしたので、仏様が良い方向に導いてくださているのかなと期待していました。

やはり髪の毛が抜けたり、気分が悪くなって食欲が無くなるなどの副作用はありましたが、ドラマに出てくるような嘔吐しまくるような酷さは無かったようです。

妻とインターネットで、抜け毛が気にならないように、蒸れず、寝る時も違和感のないような帽子を調べて、何枚か買っていき、母に渡したら、しんどいのに、「ありがとう。」っと喜んでくれた母の顔を思い出しました。

あ~、ダメですね。
年を取ると涙もろくなってしまって。
母の顔を思い出した途端、涙が出てきてしまいました。

今日もここまでにさせていただきます。