old-guy-tweetsのブログ

日々の出来事日記でボケ防止!

父母を偲ぶ Part Ⅰ

私は大阪生まれの大阪育ちです。
学生の頃、大阪から離れることなど、想像もしていませんでした。
でも、仕事の関係で神奈川に来て、早二十数年が経っており、私が生まれ育った大阪の生活よりも長くなってしまいました。
本当に人生とは分からないものです。

妻も名古屋生まれの名古屋育ちで、私と同じく、生まれ育った名古屋より、神奈川の
生活の方が長い。
共に、二十数年間の神奈川県民なのですが、私の職場は東京ですので、神奈川での生活時間は、妻の方が圧倒的に多く、私より完全に神奈川になじんでいる感じです。

東京転勤になった時、東京の賃貸は高いと聞いていたので、千葉、埼玉、神奈川の3択でした。

妻と私の実家は名古屋、大阪と西側ですので、帰省時に車で移動することを考えると、自ずと神奈川で探すことになり、現在に至っています。

子供たちにとっても、年末年始や夏休みなどの帰省は、楽しみの一つだったと思います。

他方、私たちの両親、特に大阪の私の両親からは、「なかなか会えないので寂しいね。やっぱり東京は遠いなぁ」っと、よく言われました。
(いやいや、東京じゃなくって神奈川ですけどー。)
私の両親にとって、関東はどこでも、遠い東京なんです。(笑)

私には弟がいるのですが、弟も転勤族で、福岡で家庭をもっているため、共に遠方なので、尚更だったと思います。

2010年、私の父が胃がんを患い、手術をしたのですが、既にリンパ節にも転移していたため、父自身も頑張ったのですが、2011年2月に、帰らぬ人となってしまいました。

当時、私も仕事のことで情緒不安定になっていた事もあり、あまり大阪に帰ることができませんでした。
本当に後悔しかありません。
なぜ、もっと父の所に行くことができなかったのかと。

父が他界した後、母は一人で、大阪の団地で過ごしていました。
昔ながらの団地ですので顔見知りの方が多く、何かあればお互い助け合う事ができる人たちばかりだったので、少しは安心でしたが、一人になってしまったので、余計に寂しく感じていた事でしょう。

弟の会社の本社は大阪なので、大阪へ出張の際は、必ず実家へ顔を出すようにし、私も連休が取れた時などは、大阪へ帰るようにしていました。

母と私の2人、娘も休みが合った時には3人で、一泊旅行に出かけたりもしました。
その時の母の顔、確かに嬉しそうだったなぁ。

敬老の日に、息子が送ってくれた可愛い造花、ほんとうに喜んでくれてたなぁ。

そんな母でしたが、2017年の年末、私と弟の家族が帰省し、帰る頃になって、「何となく背中が痛むんだよね。」っとポツリ。

母は父と違って、少しでも異変があれば病院へ行くタイプの人だったので、その時も、病院で診てもらうように言って帰りました。

 

(つづく)